原文 935 文字

私は表記をひらがなだけにした方がよいという主張に反対する。言語に自由を与えて、言語に自分自身で発展させるべきだと思っている。存在することは合理的なのである。 言語は文化のことである  → 言語は文化である|言語とは文化なのである 。日本  → に はもともと漢字はなかった。紀元592年、日本は飛鳥時代に入った。聖徳太子が 摂政  → 摂政になり 、隋に使者を派遣し始めた。中国から、社会諸制度と先進文化の吸収に努めた。漢字の 引用  → 借用 につれて、日本の言語は発展してきた。 以降  → それ以降 、日本人の観念、意識、そして日常生活の用具の呼び方をはじめ、面々のことに漢字は欠かせなくなった。つまり、漢字は日本文化  → と 関わって  → 交わって 、日本文化と融合した。 もし漢字はなくして  → 漢字なくしては 、日本文化は成立できなくなってしまったと思う。三種類の文字があった方が和語や外来語などの使い分けが容易である。それだけでなく、人の名前、地名、その他の名詞には多くの漢字が使われているため、全部ひらがなになると、これまでの同音異義語が区別できなくなり、混乱が生じやすい。たとえば、 どこかに「かく」というひらがなが書いてあり、私たちは「欠く」、「書く」、「角」、「核」、「掻く」かと、意味が大体分かることができて  → どこかに「かく」というひらがなが書いてあるとしたら、私たちは「欠く」、「書く」、「角」、「核」、「掻く」だと、意味が大体(分かり|知ることができ) かたがな  → かたかな を見ると、これは だぶん  → たぶん 外来語 かな  → だろう と分かる。しかし、漢字学習がなければ、日本人の子供にとって、学校教育での負担減り、そして三種類の文字による表記は、日本語が母語ではない人が日本語を学ぶ上で負担が大きいと言う人もいる。それは  → 道理|理屈 して 成立できない  → 成立しない|成り立たない と思う。何事を学ぶの  → にも 努力しなければならない。それに、漢字を 引いて  → 取り除いて 、負担がどのぐらい 減られる  → 減る だろうか。さまざまなコミュニケーションの手段を考えれば、表記の簡単な方が、効率的に受信、発信ができると言う人もいる。実は、日本語を勉強している私にとって、日本語で メールを作る  → メールを書く のはそんな 難しいではない  → 難しくはない 。ひらがなも かたがな  → かたかな も漢字もローマ字で入力している。その反面、 ひらがなに換えて  → ひらがなだけに変えると 、かえって混乱を 起こす  → 引き起こす かもしれないと思う  → かもしれない|と思う 。実は、 その主張に賛成する理由も反対する理由も言語を変えられない  → その主張に賛成する理由をもっても、反対する理由をもっても、言語を変えることはできない 言語は文化のことである  → 言語とは文化である 。言語は時代につれて、ついに自然に変わるものである。だから、強制して、言語を変えることはだめだ。言語に自由を与えて、言語に自分自身で発展させるべきだと思っている。

学習者情報

学習者 ID
118
性別
国籍
中国
母語
中国語

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