私が勉強していた中等学校と高等学校は同じところで、その名は「中華独立中等学校」である。マレーシア教育制度は特別なもので、初等教育機関、すなわち小学校はマレー語を教授言語とする「国民学校」と、中国語を教授言語とする「国民型学校」がある。中等教育機関には、標準的な中等学校に加えて、中国語を教授言語とする「独立中学」と呼ばれる6年制の中華系私立中等学校がある。私が通っていた「中華独立中等学校」は「独立中学」である。私がこの学校を選んだ理由は、「独立中学」で自分の母語である華語を用いて勉強できることだ。私は姉1人と妹1人がいて、兄弟3人も「独立中学」に通っていた。それに、「独立中学」は政府が決まっていた教育課程をも教授している。そのせいて、私は政府が実施する卒業試験と「独立中学」の卒業試験を受けなければならなく、人より2倍の受験を受けていたが、「独立中学」の教育課程の水準は政府の教育課程よりはるかに高いので、外国で留学したい私にはとても助かった。私の中学校と高校は同じところだったので、高校に入っても、生活は変わっていなかった。華人以外の人が華語を話せる人はとても珍しい。「独立中学」で勉強するただひとつのデメリットは華人以外の友達が少ないことだ。なぜなら、マレー人やインド人が「独立中学」に入る人はとても少なく、珍しいである。高校にいる間、私はいろいろなことをした。私は毎年違う部活に入っていた。中、高校は6年があるため、6つの部活に入っていた。中国茶道、中国チェス、バトミントン、数学、物理と日本語の部活に入っていた。どっちも1年しか入っていなかったため、卒業証書に部活について高い評価はされていないが、充実な中学と高校生活を送れたと自分は思えます。高校を卒業して、私は1年をかけて英語の試験、TOEFLの勉強と、1年をつかって日本語学校で大学受験の勉強をしていた。私が通っていた日本語学校は、帝京大学が設立したものである。ここで、私は私と同じく日本で留学しようとした仲間がたくさんできた。大学に入った今、みんなはそれぞれ違う大学に入ったが、インターネットを通じて今でも互いに連絡をとっている。私が日本に来たのは東京大学に入学したいからである。東京大学には、ナノテクノロジーとの関係のある精密工学科が勉強できるからであるが、私は東京大学に入ることは叶わず、東京工業大学に入った。
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